純銀製のかんざしが特別だった理由
※この記事は、諸説ある中の一つとしてご紹介しております。
日本の装飾文化の中でも、とりわけ格式高く、特別な存在とされてきた「純銀製のかんざし」。その歴史をたどると、江戸時代に大きく花開いたかんざし文化と深く関わっています。
江戸時代、かんざしは単なる髪を留める道具ではなく、装いの重要な一部として女性たちの間で広まりました。特に金や銀といった貴金属を用いたかんざしは高級品とされ、武家や上流階級、裕福な町人女性たちの間で“格式”や“身分”を象徴する装飾品として用いられていたのです。
ただし、贅沢を戒める風潮もあり、延享元年(1744年)には「贅沢禁止令」により、金銀製の櫛や笄(こうがい)は使用を禁止されます。その代用品として、象牙や鼈甲(べっこう)、錫(すず)などの素材が一時的に用いられました。
しかし、寛政年間(1789~1801年)頃から再び金銀製のかんざしが流行。高度な技術による「蒔絵」「彫金」「象嵌(ぞうがん)」といった精密な細工が施されるようになり、かんざしは芸術性の高い装飾品として復活します。
これらの純銀製かんざしは、華やかな式典や礼装時に用いられることが多く、また裕福な家庭の娘が嫁入り道具として持つなど、“特別な場”や“特別な人”のために選ばれるものでした。一般庶民の暮らしの中ではなかなか手に入らない、まさに憧れの品だったのです。
現代でも、純銀製のかんざしはその上品な輝きと美しさから、特別な贈りものや晴れの日の装いとして選ばれることが多くあります。時代が移り変わっても“特別なもの”として人の心に寄り添い続ける存在であり続けています。

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